Mar 11, 2014

あること




100%理解してくれなくても(もともと100%の理解は求めてはない)、私のことを分かってくれている人がいて、私はとてもびっくりしている。わたしのことを見てくれている人がいる。ダメなところも良いところも言ってくれる。とても嬉しい。みんなはきっといつでもそこにいて、いつでもウェルカムだったのに、私がそれに気づかなかっただけで、それは私が不安定だったからなんだと思った。私が横須賀を離れて、東京で暮らし始めてから1年の間にそんな人達にたくさん出会えた。


今まで生きてきた人生の中で私はやっと、人間と一緒に生きている気がする。誰かと生きている。今まで、1人ではなかったし、孤独でもなかったし、幸せだったけれど、今までが、まるで1人で生きてきたかのような気がするくらい。誰かと生きるのは、とても面倒臭くて楽しくてイライラして幸せなのだ。今までは、幸せだった。ただ、1人で生きていた、幸せに、自分の世界だけで誰にも邪魔はさせなかったし、自分を大切にして守っていた。だから今、人間と生きていて、とても大変なんだってこんなに、人間と付き合って行くというのは面倒くさいものなんだと、思う。


ともみは、人と感じ方が違うから。と言われても私は、全然意味が分からないし、うーん、少しだけなんとなく意味は分かるかもしれないけど、だから私、どうしたらいいの?

違うといわれても嬉しくないし、多分、同じといわれても嬉しくない。

感覚に正しいも間違いも同じも違うも何もないのだ。そのままでいい。全部そのままでいい。悲しいのに、正しいも、間違いもない。嬉しいのに正しいも、間違いもない。何があってどんな状況だって、幸せだって言えば、それは幸せなのだ。


綺麗事を並べている気分。ついでにもっと言っちゃえば、世界が平和になったらいいのに。





私は知らないうちに人を傷つけてるかもしれないけど、私が傷ついてるのをあなたは全然知らないでしょう?

人間はそういうものでしょう?世界ってそういうものでしょう?
どれだけ言葉という言葉を知り尽くして集めて並べたって、その人にそのつもりはなくても、言葉はナイフにもなりえる。見えないナイフ。刺しているのを知らないの。みんなみんな、殺人鬼。
どうしたらいいの。

言葉がなかったらよかったのかも。
自分が感じたままをそのまま感じられる機械ができたらいいのに。
ああ、でもな、やっぱりそんな機械いらないや。


大変だ。






自転車に乗って、どこかヨーロッパの匂いのする石畳を走って、また、パパに会った。
おやすみ。







2 comments:

Anonymous said...
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Anonymous said...

とも最近どしたん〜?